セヴァン・スズキ講演(日本語版)

こんばんは!(軽トラックの荷台がステージになっているのを見て)こういうステージで講演をするのは初めてです!(笑)

今日、ここでお話ができることはとても光栄です。この美しい阿蘇の谷に来て皆さんと共に楽しい時を過ごせるなんて本当に素晴らしいことです。ここは、カナダの私の故郷にとっても良く似ているんですよ。

私はセヴァン・スズキと申します。ここで皆さんと共に時を過ごすために友人でありパートナーでもあるジェフ・トッパムと一緒にカナダからはるばるやってきました。私達は「ナマケモノ倶楽部」と「YES」という組織との共同企画により日本全国を廻る講演ツアーを行います。みなさん、今日は本当にようこそいらっしゃいました。

さて、皆さんは何故、今日ここにいらっしゃったのでしょう?もしかしたら、土地開発の問題を抱えているからかもしれませんね。もしかしたら、あなたの村の周りにある都市部からの重圧を感じているからかもしれません。あるいは、あなたの子供達を取り巻く環境のことを心配しているからかもしれませんね。そして、これから触れる汚染について心配しているからかもしれません。

では、なぜ私は今日ここでお話しているのでしょう?
私は自然界のことがとても心配だからです。なぜなら、阿蘇の皆さんの周りにあるような自然や荒野、そして農地がだんだん見つけにくくなっていることに気づいたからです。

私の自然に対する思いが強いのは、私の中に日本人の血が半分流れているせいだと思うのです。私の曾祖母は熊本出身で、その曾祖父母と私の祖父の両親がカナダに移住しました。私の祖父母とその子供たちはカナダで生まれ、英語で育ち、日本へは一度も来たことがありませんでした。しかし、彼らが日本人の遺伝子を持っているという理由で、第二次世界大戦中、カナダ政府は彼らを強制収容しました。
私の祖母と父、彼の妹達は山岳地帯にある僻地の小さな町へ移住させられ、そこで父の一家は3年過ごしました。私の父がまだ幼い少年だったころです。山や森の中で少年時代を過ごした父は、釣りをして楽しんだ川や湖を自ずと心から愛するようになりました。
この時期は彼の人生の中でとても大切な時期となりました。このときの体験で父は不平等の存在を知り、常に偏見や不正と戦う姿勢を育みました。そして、さらに山の中での暮らしは彼に「自然」を教えてくれました。

父は私にも同じ価値観を分け与えてくれました。私は、小さいころからキャンプや旅をし、田舎を尋ね、釣りをすることを覚えて育ちました。さらに自然界の生と死のサイクルを知り、自然がどうして大切なのかを学びました。

そのような理由で、私の中にある日本人として受け継いだものが、今の私に大きな影響を及ぼしていると思うのです。私の先祖の地であり、私の人生に大きく関わっている日本に来る機会を得たことは最高の喜びです。

日本には昔から自然を尊ぶという歴史があることは良く知っています。にもかかわらず、おかしなことに多くの日本人が都市部に住んでいます。同様に、大多数のカナダ人が都市部に住んでいるのも事実です。この阿蘇の地に住んでいらっしゃる皆さんのような方々はは大変珍しい存在だと聞きました。
今回、私も日本の自然を少しでも経験できてとても嬉しく思います。しかし、多くの日本人がもはや自然に近いところに住んでいないというのは本当に悲しいことです。皆さんはとても貴重な存在だと言えますね。

人はカナダを新鮮できれいな空気と水、そして限りない野生が残っている国だと思っていますね。でも、今日、毎年16000人もの人が、大気汚染が原因で亡くなっています。友人の多くは成長期に喘息で苦しんでいました。美しい故郷のバンクーバーでは家のすぐ前でのカレイ釣りが出来なくなりました。何故なら、ガン性の腫瘍がたくさん見つかったからです。

現在、私が住んでいるカナダのブリティッシュ・コロンビア州の西海岸全体は、太平洋の鮭の遡上によって成り立っています。州全体における経済、村々の生計がこの鮭に依存しているといっても過言ではありません。ところが、大量に鮭を捕獲し続けてきたために、鮭が戻ってこなくなりました。その結果、州全体が大きな打撃を受けています。

皆さんと私は大海である、太平洋を共有しています。日本人の摂取するたんぱく質の約半分は魚から得るものだと聞いています。私たち共通の問題です。この点でひとつ明確なのは、私たちがいかにつながっているかということです。私達は依存し合い、お互いに影響しあっているのです。世界中でこんなに多くの人が依存している資源を一つの国や一つの民族によって乱用する権利がどこにあるというのでしょうか?

阿蘇の地域に住んでいらっしゃる皆さんは、皆さん一人一人の行動がこの地域全体に影響を与えることをご存知ですね。ところが、多くの先進国は私達が地球という大きな自治体の一員であることを無視しているように思えてならないのです。

山積みされた大きな環境問題を考えると実に恐ろしくなります。それは私たち人間の“種”が直面しているとてつもなく大きな問題です。その地球規模の環境問題に気づいていようといまいと、私たち皆が各々、その問題に影響を及ぼす存在だと自覚することは、とても難しいことです。だからといって、そう自覚することによって、あなたの生活にマイナスの要因になるというわけではないのです。それどころか、それ(自覚をすること)がそのまま「変化」につながることになるのです。(自覚をすることで)意気消沈したり問題を無視し続けたりする代わりにできることがあるのです。前向きな変化に加わることで、この自覚を、何かを成し遂げることが出来るのだ、という力強いものに変えることができます。世界に貢献できるのだと感じることは、本当にすばらしいことですよ。

そして、それが私の経験したことです。
環境問題、社会問題について学び、前向きな変化に加わろうとすることが私をいくつもの素晴らしい経験へと導いてくれました。ここで、こうして皆さんにお話をしているのもそのひとつです。

もし、宇宙人がどこかの惑星から地球へやってきたとしたら、地球を支配している、ある動物(人類)が資源を急速に使い尽くしていることに気が付くでしょう。人間はすごいスピードで、彼ら自身ともいえる資源を食べ尽くしているのです。

ですが、人間は地球上で何千年もの間生きてきたのです。どうして、このようなことが突然起きているのでしょう?それほど遠くない昔には、人間はもっと土に近い暮らしをしていました、そして土と共に働いていました。(生きる物の)生と死のサイクルに注意を払い、動物たちに耳を傾け、風の音を聞き、雨の音に耳を傾けていました。そうして、後世まで生き延びるためには土地をどのように使えば良いのか、成すすべを知っていました。
この阿蘇の地と共に生きてきた皆さんは、よくご存知ですね。私が言うまでもなく、改めて考えることでもなく、すでにご承知のことです。

しかしどういうわけか技術や生産力が向上すると、私たちは土や雨から遠ざかり、様々な徴候や科学、土地やエコシステム(生態系)をどのように取り扱ったらよいかを示す指針からも遠ざかってしまいました。そして今日、目先のことしか捉えない近視眼的な考え方の影響が明白です。

地球のこの環境が私たちを生かしてくれている、ということを人々は忘れつつあります。阿蘇に住んでいる皆さんにはあまりに当然のことですね。そう、明白です。私達が口にする食べ物や飲み物で、かつて生きていなかったものはありません。つまり、自然がなくなったら私たちはこの地球に存在しえないということです。ところが、コンクリートやガラスに囲まれた生活をしている多くの人がこのことを忘れています!21世紀という新しい世紀が始まって私たちの世代はますます地球そのものから離れています。ビン入りの飲み水を買い、遺伝子組み替え食品を食べ、かつてない大きな車を運転しています。

私達が、今までのように自然との強い繋がりをもつことのできる最後の世代ではないかと考えると、とても恐ろしくなります。若者達はますます外から室内へと閉じこもり、子供達はそれほど庭で遊ばなくなりました。遊ぶ庭さえ持たない子供が大勢います。まるで、自然がなくても私たちが生きていけると言わんばかりの社会です。同時に、うつ状態や絶望感が私たちの世代に蔓延しつつある特徴と言われています。(この二つの現象には)何か関連があるのでしょうか?

ここでは、皆さんは阿蘇・久住国立公園に暮らし、自治体の中で共有し、持続可能な農業を共に行っていますが、これらは都市に住むほとんどの人々が経験することもない、はるかに多くのものです。ここに、こうして立っていて、皆さんといっしょに居るというだけで、何かとても強いものを感じます。自然や地域社会から切り離されていることが、人間が持続不可能な生活を続けてしまう理由の一つであり、未来のことを考えもせずに私たちの資源をむさぼり尽くしている理由の一つなのです。さらには、これが絶望感やひいては自殺の要因の一つになっていると思うのです。私たちの価値観のどこかがおかしい。

私たちは今、改めて私たちの価値観を見直すべきです。私たちに本当に必要なものが何なのかを決めることから始めなければなりません。私たちが未来にほしいと思うものは一体何でしょう?

ちょっと想像してみてください、もし、この阿蘇の自然が皆さんの周りになかったとしたら、そして、この地域社会がなかったらどうでしょう? 想像することさえ難しいでしょう、違いますか? ところが、大多数の人にはこの自然環境がないのですよ。
先住の人々は、土地には尊厳があるといいます。人は土地とのつながりがあるからこそ生きてこられたのです。ここに暮らす皆さんにはお分かりでしょう。私たちは決してこのことを忘れてはなりません。

10年前リオの地球サミットに参加して以来、私は多くの集会に参加し、協議会などにも出席しましたが、この10年間、そういった会議に出席したことでたどり着いた結論は、変化は政治の指導者たちからは起こらないということです。私たち自身が地球の環境について知り、私たち自身が環境について学び、いかに私たちが地球の環境に影響を及ぼしているのかを認識し、そうして、この地球環境を尊敬の念をもって取り扱う決心をするのです。
では、どうすれば「変化」に関わることができるのでしょうか?

今回の日本の講演旅行でも薦めている、皆さんにも簡単にできる2つのことがあります。
まず一つは、外へ出て自然の中へ入っていくこと、そして、もう一つは、自分の食べるものが何処からきているのかを学び知ることです。

私は皆に自然から学ばなければならない、とうったえています。まず、外へ出ましょう! 公園へ散歩に出かけましょう! キャンプに行きましょう! そして、この阿蘇のような所へ出かけてみましょう! または、(それが出来ないというのなら)少なくとも窓辺に種を植えて観察してみましょう! 自然とは何か、という感覚をもち続けることはとても大切なことです。そうしなければ、どうして自然が重要なのかが分かるでしょう?

次に、食べ物について言えることは、あなたの周りにある自然環境が食べ物となり、それがあなたの身体の一部になるということです。このことは(あなたと)あなたを取り巻く環境との関連付けを始めるのに良い手段でもあります。問いかけてみてください、あなたが食べるものはどこからきていますか? どういう風に育ったのですか? どこで育ったのですか? (自然との)繋がりを持たない人々や都会に住む人々は、こういったことを考えもしませんし、ましてや私たち人間が、実はこの地球、つまり土から生まれた食料そのものだ、ということなど知る由もありません。ところが、この二つの点については、ここ阿蘇に住んでいらっしゃる皆さんは、すでに実行なさっていることです。土と密接に関わり、ご自身の食べるものをご自身で栽培なさっている! 日本やカナダの都会に住む人々はこの阿蘇の地から学ばなければなりませんね。

一方で、私は、この阿蘇に住んでいる皆さんが、(当然と思って)手にしているものを高く評価なさることを強く望みます。ここは、日本の人々が土と密接に暮らすことの出来る、残された土地のひとつといえます。私は、日本の都会の子供たちがこういった農園にやってきて、土にまみれる姿が見たいと思います。

“挑戦”に直面したとき、土地は尊厳を保ち、地域社会は支えてくれます。皆さんが受け継いできたものを、そして皆さんの地域社会を誇りに思ってください。土から得ながら生活をすることは誇りです。土とつながっていることは誇りです。なぜなら、それは日本に住む多くの人々や、カナダのほとんどの人が手にすることの出来ないものだからです。

今日は本当にありがとうございました。ここでお話できたことを光栄に思います。